2017年05月06日

●アーユルヴェーダと境界線と

ただ単純に.jpg
私はたぶん、何につけ境界線が嫌いなんだ。ということに最近気が付いた。
若い頃よく「国籍も年齢も不祥な自分でいたい」とぼやいていた。
後年、そんな不便なことはないと分かったし、日本人でよかったとも思ったけど・・・。
バカですね(( ´∀` )笑

恋愛も、境界のない愛情を探した。
彼氏でも、夫でも、友人でも、親子でも、兄弟でもない、そういう縛りのない愛情。
それなら傷つかずに済むし、好きだという気持ちだけあれば、頑張って生きていける気がしていたからだ。
でも、これも無理だと分かった。相手にとってはうざくて重たいだけだ。
バカですね( ´艸`)笑

部屋も区切りがたくさんあるより、ドカンとしている部屋が好きだ。
でも暮らせばそれはなかなか不便なはずだ。
バカですね again ( ´∀` )

なんにでも区切りや、境界が必要で、その区切られたものに対して名前を付ける必要がある。
たとえば学校は、地域や年齢や頭脳レベルで分けて名前を付けるみたいに。

ほとんどのものは名前が必要だし、境界もないと不便だと分かったけれど、医療の世界においては西洋医療もアーユルヴェーダも、鍼灸も、漢方も、温泉も、マッサージも、いろんなものが一緒くたになって、私たちが自分の体に合ったものを好きに選べる世の中であってほしいと思う。

新刊「迷走患者−−<正しい治し方>はどこにある」は、たくさん伝えたいことがあって書いた本だけれど、迷走する患者の姿を書くことで、医療を好きに選べる世の中になって欲しいという思いを込めて書いた本です。だって、アーユルヴェーダを日本でも医療として受けたいと思いませんか?

どうぞ読んでください

posted by 岩瀬幸代 at 22:35| Comment(0) | TrackBack(0) | アーユルヴェーダ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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